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 横浜の港に近い古い小さなビルにあった事務所。その会社のホームページに載せていたニュース・短編映画に関する演出家苗田康夫さんの手記を再掲載するためにこのサイトを準備しました。

年年歳歳花相似 歳歳年年人不同
(唐詩選)

演出家苗田康夫さんの手記

■この手記について

この手記はミニコミ同人誌「はりまお記念文集」3号-6号(1992年2月―5月)および「萬客往来」1号―3号(1992年6月―8月)に連載されたものである。

■銀座から目黒へ
ー激動期の日本映画新社を支えた人たち

日映新社の前身は、戦中の国策映画会社社団法人「日本映画社」である。戦後、文化映画の劇場上映はなくなり、教育映画部は全員解雇、国策ニュース映画の 「日本ニュース」も統合が解除されて各社競合の時代に移り、昭和27年(1952年)、東宝傘下のニュース映画社として日映新社の名で再出発した。

■短編往来ーわたしが出会った人々

つまるところ短編映画は商売とし ては成り立たない。劇場で上映しても収益は期待できない。スポンサーからの受注で採算性のある製作をする業界である。しかし,たまには自主作品と称して 「プリント販売」であれ,「自主上映」であれ,商売に挑戦することもある業界である。

以下各ページへリンク
銀座の日映新社 目黒の日映新社 短編往来(序)


◇好きな言葉

 雨ニモマケズ 風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク 決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル 
宮沢賢治 「雨ニモマケズ」
 罪を犯すにはわれらの人生長すぎる

罪を償うにはわれらの人生は短かすぎる 
田村 隆一 「恐怖の研究」

◇投稿一覧(抜粋)

日本ニュース映画史の頃

あの日、あの時
西村 健治さん
掲載当時の写真

 西村健治 
 NISHIMURA KENJI
  
 クリエーションファイブ代表


日本は太平洋戦争中、 映画を国家統制し劇映画3社と社団法人日本映画社 (日映) を作る。

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肖像



 ——駅を降りると、にこやかな笑顔で迎えてくれる。

 普段私はほとんど利用することもなく、クリスマスの時期など大勢並んでるな、という程度の関心しかなかった。

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